2011年7月20日水曜日

「ニーチェの言葉」気に入った2~3

人との付き合いには、得手不得手があるようだ。一般的に経営やセールスを生業にする人は、人を良く観察し、上手な人が多い。そして、私のような技術者は、下手というか、あまり関わりたくないと思っているところがある。それで、誤解をされたり、損をしたりする。



土足で入る人とはつきあわない
親しくなれば相手の私事に立ち入ってもかまわないと考えているような種類の人間とは、決してつきあわないことだ。そういう人は、家族のようなつきあいと称しながら、結局は相手を自分の支配下と影響下に置きたがっているだけなのだ。
友人関係の場合でも、互いを混同しないような気遣いと配慮はたいせつだ。そうしないと、友達でいることもできなくなる。

『漂泊者とその影』

必要な鈍さ
いつも敏感で鋭くある必要はない。特に人との交わりにおいては、相手のなんらかの行為や考えの動機を見抜いていても知らぬふうでいるような、一種の偽りの鈍さが必要だ。
また、言葉をできるだけ好意的に解釈することだ。
そして、相手をたいせつな人として扱う。しかし、こちらが気を遣っているふうには決して見せない。相手よりも鈍い感じでいる。
これらは社交のコツであるし、人へのいたわりともなる。

『人間的な、あまりに人間的な』

次に挙げる「世間を超えて生きる」などは、菅総理に捧げたい言葉である。また、「安定志向が人と組織を腐らせる」などは、年金問題を引き起こした官僚や現在大きな問題を引き起こしている電力会社の経営者にあてはる言葉である。




世間を超えて生きる
世間にありながら、世間を超えて生きよ。
世の中を超えて生きるとは、まずは、自分の心や情のそのつどの動きによって自分があちらこちらへと動かないということだ。情動に振り回されない、自分が自分の情動という馬をうまく乗りこなすということだとも言える。
これができるようになると、世間や時代のそのつどの流れや変化にまどわされないようになる。そして、確固たる自分を持ち、強く生きることができるようになるのだ。

『善悪の彼岸』

安定志向が人と組織を腐らせる
類は友を呼ぶというけれど、同じ考えの者ばかりが集まり、互いを認め合って満足していると、そこはぬくぬくとした閉鎖空間となってしまい、新しい考えや発想が出てくることはまずなくなる。
また、組織の年長者が自分の考えと同じ意見を持つ若者ばかりを引き立てるようになると、その若者も組織も、確実にだめになってしまう。
反対意見や新しい異質な発想を恐れ、自分たちの安定のみに向かうような姿勢は、かえって組織や人を根元から腐らせてしまい、急速に頽廃と破滅をうながすことになる。

『曙光』

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