女性たちの現代詩
日本100人選詩集 麻生直子 編 悟桐書院
表紙絵 開 光市 |
アウトドア クッキング
麻生直子
四月の家族が
ふゆごもりのドアを開けて
春のすそ野を登ってくる
ひとすじの新鮮な川によりそって
母と娘はサラダの葉を千切っている
火と水の見張り番をする父と息子
沸騰する鍋 白い湯気
熱く焼かれた食べ物 ほほの膨らみ
ひとびとを遊ばせる草原の美しさ
真っ先に花を咲かせる樹木のやさしさ
そのときだれもが噛み砕いたものの
するどい悲鳴を聴く
森の奥でいきをひそめる鳥や獣
みえないはるかな海の向こうで
空を仰ぐ絶望の声
地上にばらまかれる死の罠
子どもを吹き飛ばす火薬と血の匂い
<野原を駆けてはいけません!>
<森に行ってはいけません!>
カーラジオの世界のニュース
ちぐはぐなリクエスト曲が追いかける
ひとは遠くの出来事に木のようにやさしくなれる
哀しみの涙さえ浮かべて
けれど気づかない
留守にしてきた平和な家の裏庭で
ひそかにクッキングされ
買い取られていく精巧な危険物
四月の野原で
腹這いになった父と息子が
腕相撲している
口元にバーベキユーの肉の匂いをつけて
▼作者のことば
家の近くの駐車場に、白い大型キャンピングカーが止まっていて、いつも私の想像力を魅きつけます。狩猟採取民の末裔のごとく海辺や山野を駆けまわって育った子供時代。地震や津波で多くの犠牲者が出た島の惨劇。一方では、対人地雷による犠牲者救援運動が国際的に盛りあがり、日本での製造も非難され、無意識に加害者になっている存在を思います。2003年2月日本は対人地雷禁止条約に基づき廃棄処理を完了と発表しましたが大量の武器を造り死の商人となり殺戮を繰り返す人類とはなんなのでしょうか…。
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アシヤ便り----震災
和田英子
電車が近づくにつれて
ずり落ちた瓦 ゆがむ二階家
前のめりの家 倒れこんだ家
青いビニールシートの屋根覆い
点々
阪神電車アシヤ駅下車
いつも立ち寄る駅前のベーカリー
となりの珈琲店 コンビニエンスストア倒壊
国道43号線の歩道橋は綱がかけられ
船揺れする橋の中央で出会う目の不自由な青年に
心を遺す刻も消失した
老犬のいた米穀店の屋根は<危険>のビラ
耳の短い免の家は傾き 無人
葬斎場反対のビラは空しく
五軒に一軒の家が壊れている
アケボノ杉が見える
富田砕花旧居である
前の大戦で焼け残った
屋根のある門は崩れ
くり石を固めた塀崩れ
門につづく物置(現展示場)の
瓦ずり落ち 壁は損傷している
瓦礫を踏んで庭に入る
その時わたしは大声で叫んだんです 〝先生っ 大丈夫ですか
外へお出になってはいけません 外は危ないですよっ″ て
だのに辺りはシーンとしていて
母屋の脇の管理人室に住むキヨさんは砕花夫妻に供えた花瓶の
水浸しのなかで気付いた わたしは寝呆けていたんだわ と
壁が落ちガラス戸が壊れた部屋で隣家の甥のTさんは
叔父がこの部屋に寝ていたら本が倒れてきっと駄目だったでしょう
と 真顔でわたしの顔を見る
1923年の大震災のとき砕花は翌朝食パン二十人分を背負って
海路横浜に直行した
ライフライン途絶えて六日め
キヨさんは
これから公園の炊き出しに出かけるの
おいしいですよ ご一緒にいかが
とわたしを誘う
▼作者のことば
1995年1月17日未明大地が揺れた。すさまじい力で家屋を漬し、人命を奪い去った阪神・淡路大震災である。
関わりのある芦屋へ赴いたのは、路線が回復した震災後七日目のことであった。門、塀崩れ、ガラスが割れた寒い部屋で砕花関係の人達と無事を確かめ合ったのは、心の暖まるひとときであった。
倒れた二階家が道を塞ぎ、知人の家の前には、夥しい書類が岩山のように投げ出されていた。いまも鮮明である。
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八月の遊歩道
岡島弘子
死が人を
人が死を
くさりでつないで つながれて
と思ったら
犬が人を
人が犬を
くさりでつないで つながれて
ならんだり
ひっぱったり ひっぱられたり
立ちどまったり
また走りだしたりしながら
むこうからやってくる
くさりがにぶくひかる
草いきれの遊歩道を
熟れた西日が光と影とに染めわける
きっかりと 路上をくぎる境界線を
夕風がちらちらとかきみだす
夏涸れの野川が
死のほうにずれ 生のほうへふくらみ
あの世とも交差しながら流れていくようにみえる
その くさりの先はどう曲がっていく?
老人が
犬とつれだって
ベンチにこしかけている
なじんだ死とよりそっているようにみえる
その前を
ときどき あの世の人ともすれちがいながら
足早に歩く私にも
犬がまとわりついているのがわかる
くさりが左ひざに絡んで歩きにくい
▼作者のことば
ウォーキングが日課となっている。一歩がこの世のいちにち、という感じで歩いていると、遊歩道が社会の縮図に見えてくる。
このあいだも若い女性を追い越した。ところがしばらくするとその女性に追い越されてしまったのだ。あれれ?しかたなく後をついていくと、なんと、女性はいきなりランニングを始めた。しばらく走って私と大差ができたところで、またウォーキングにもどったのだ。なるほど。しかし、追いつ追われつしたところで所詮は道の上でのこと。夢中になって歩きすぎて、いつしかこの世の欄外にはみでないよう気をつけたいものだ。
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生き埋めのヴィジョン
倉内佐知子
蛇籠のジャ フツ 神なぎのカミ フツ 蛇神の
尾の輪 口 噛まれる頭部 フツフツ 抜け殻の
無臭 フツ 嗅ぐフツ 死して吹きつけるコトバ
イキ苦しい 相交わるる夢繰り返し見て みて覚
める この肉体への横圧 おそろしくあいまいな
細胞こそなつかしく ぞよぞよ 逆立つ根毛のよ
うなもののもつれ 口腔からでなくその周りから
生えるという変異 吃 形骸を強いるコトバ イ
キ苦しい 解体する口の記憶の眩しさ 三千の根
元から剃り落とされる繊維たち ちぢれ降る あ
えぎ降る フツ わたくしたちの幻夢 凶 墓所
墳
惜しげもなく地上にさらけ出した秘所 がじゅま
るの毛垂れる毛嗤う 異形の森の臭いに酔う 酔
どれ 意識の湿りけにそぐわないあて布をされる
その接触面の僅かなずれに生じる炎症 ほてり
幾度も汲みつくされやがて硬い皮の下で癒えたか
のように乾化した癒着痕のひきつれ 静寂 剥が
れくびれる細胞壁 その門をくぐり抜けると巨大
な石墳の前庭に出る そこが終着なのか始まりな
のか タクシー運転手兼ガイドはフッフゥと揶揃
したきり墓の内部に最も近いという窓下へ引き入
れ あこにはお后も子どももいるのですと説明す
る 窓には小ぶりの珊瑚石がびっしり押し詰めら
れその隙間は漆喰の黒い彼方に隠れているものの
ふと后がつまみのようなのを差し出す白い両手が
見えその近くに悠々座している王の気配を感じる
洞
縄文の洞穴から追い出されてらてらカユミ止めの
光を放ちながら瞑睡するわたくしたちの壊れかけ
たそれでいて無意識の野性は泥炭さながら生き埋
めのヴィジョンを今ヴィジョンとして生きている
▼作者のことば
夜の何処かで夢を見ては、朝方の朦朧とした意識の中で、色とりどりの映像や存在の出現、心理や記憶とのかっとう、それらとのやり取りに必死な様子のもうl人の自分と出会います。うつつとの境界線に立ち現れる者たちは、その魅力で恍惚とさせたり恐怖させたり、時には明晰すぎるほどの理屈で夢見る者に一撃を与えて去ります。驚かされるのは、そこに展開する人間存在の複雑な重層性です。
しかし、万象の混沌や消息が、詩の言葉にその実像を現すことは、それを考えると眩暈がするほど、危ない場所まで来ているのだと思います。
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にんげん
島田陽子
まだ おんなですか
と 聞いた男は宇宙語をあやつったのだろう
ひげでも生えてますか
けげんな顔で尋ね返したら
ま、ま
なだめるような手つきでビールをつぎ
異星人みたいに笑って逃げていった
わたしの毎日はそれから無重力
くらげになって漂っていると
おんな盛りのくらげが通る
見くらべても大した変りはないようで
すっきり軽やかなのはこちらのようで
そのぶん幾らか寒いか
ミャーと鳴こうかしら
雌猫は死ぬまで雌と呼ばれるのよ
おんなでないおんなはなにもの
別の男に噛みついたら
そいつはニンマリ答えたものだ
にんげんです
おんなでなくなったら人間になるのです
ここにもひとり 異星人がいた
おんなといわれるときに
産むおんなでないこと
産むおんなでありたくないことと
産むおんなでなくなったこととはおなじだと
知ろうともしない異星人め!
でほ おとこは?
おとこも人間になります
なかなか なりませんが ----
そいつが呵呵大笑したので
おんなでないような
おんなであるような雌猫が一匹
金色の瞳を光らせて
そいつの口の中に飛びこんでいった
▼作者のことば
「セクシュアル・ハラスメント」という言葉が社会に認知されるまで、女性は男性のいやがらせに対抗する武器を持たなかった。職場での上下関係に於けるそれは特に、煮えたぎる忿りの出口を塞ぎ、どれだけ女性を傷つけたことか。生殖能力にしか女性の価値を認めようとしない男性はいまも意外に多いが、五十歳前後の女性に「まだ女ですか」などと浴びせかける男性は流石にいないだろう。しかし結婚の制度内で出産、育児する生き方のみをよしとした近代日本社会の規範は、それ以外の道を選んだ女性へのセクハラを引き出している。品性に関する問題は絶望的とさえ思える。
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